大起エンゼルヘルプでの就労の話 |
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ちいたび会と大起エンゼルヘルプとの共同企画の認知症の人対象の就労企画がありました 泰子は日頃から少しでも何かの役に立ちたいと言っていました 一夫が話をしたら是非やりたいと答えました ちいたび会の理事長たちと大起エンゼルヘルプに行き話を聞きました とてもいい話で泰子はやってみたいとやる気を見せました 問題は一人で家から通えるかでした |
自転車で行く練習をする |
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2016年9月16日 自転車で行き見学しました どうやら仕事をさせてもらえるようでした 2016年9月17日 泰子一人で自転車に乗って行ったようですがどうやら新宿の方へ行ってしまったようでした 2016年9月19日 今回も環七から青梅街道を新宿方向へ左折しましました 2016年9月21日 環七は順調に過ぎ最後の左折ところでまごついていました 2016年9月22日 どうやら行けるようになりました5回目です 2016年9月23日 午前中二人で行き午後は一人で何とか行くことができました 2016年9月30日 一夫は社長さんと就労の条件等の話をし泰子はグループホームを見に行きました |
雇用契約をし就労できることに |
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2016年10月11日 泰子自転車で仕事に出かけました 私は雇用契約をしについて行きましたが担当者がいなくてすぐに帰りました 2016年10月12日 一人で自転車で行き14時30分に無事に帰って来ました 2016年10月13日 私は雇用契約をしに行きました 週5日・1日3時間労働で契約しました 2016年10月14日 仕事始めて4日目です とても楽しいと言って明るくなりました |
就労中にトラブル発生 |
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2016年12月 昼食の準備を一緒にしています その時男性の利用者さんが「手伝わない」「片付けない」「お礼も言わない」 そんなことが続いていて腹を立てていました すると何と過呼吸になってしまいました その後は昼食の準備は止めることになりました さらに勤務時間を午前中だけにすることになりました |
最大の危機が |
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主治医の不用意な発言以来様々なことで怒り出しました ⒈ 急に私の所に来て「言ってなかったけど、私がカンパネラを弾いているとき父さんが『うるさいから弾くの止めろ』と言ったのでそれから私一度も弾いていない。」と怒り出しました ⒉ 8月のとき「それで私はピアノが弾けなくなったんだ」とすごい剣幕で私を責めていました ⒊「父さんは好きなことやって来たからいいが、私は忙しくてやりたいことが出来なかった」と言ってきました ⒋「父さんは冷たい人だ。私がどんなに辛い思いをしているのか理解していない」と怒り出しました などです 2017年に入り一夫のチェロの発表会が近づきはじめると 練習に出かけることを拒み始めました したがってチェロの練習もままならなくなりました 2017年3月27日 とうとう「みんなに迷惑かけたくないし,これ以上生きていても辛いだけだ。死んでしまえば解放される」と言い出しました 後で振り返ると「一人にされ相当不安になったのだ」と思いました |
危機少し改善する |
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2017年4月2日 チェロ発表会に一緒に行ったのですがすぐに帰りたいと言い始め演奏できずに帰りました これ以上続けるとさらに症状が進んでしまうと思い50年続けてきたレッスンを止めることにしました 2017年8月20日の50周年記念音楽会も参加できませんでした 50年の集大成として準備をしていただけに一夫はとてもショックでした その後お陰様で泰子落ち着きました この頃一夫は1番気が動転していたきちんとした判断ができなかったのだと思いました |